アラスカ州 (Alaska
AK)は、米国最北端にある州。アリューシャン列島を含む。北アメリカ大陸北西の端にあり、ハワイ州を除いた他の48州とは、カナダを挟んで飛地になっている。「アラスカ」の名は、アレウト族の言葉で「半島」を意味する"Alakshak"(アラクシャク)から。
歴史
最終氷期では海面は後退し、ベーリング海峡にはベーリンジアという平原が広がっていた。ユーラシア大陸を東進してきた人類は、まずインディアンが次いでエスキモーが回廊を通り、アラスカに到達した。
歴史時代以前、アラスカはエスキモーとインディアンの土地であった。エスキモーは北極海沿岸を中心に海洋動物の狩猟が中心の生活、インディアンは内陸部にてヘラジカ(ムース)やカリブーなどの狩猟が中心の生活をそれぞれ一万年以上続けてきたとみられる。 |
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近代
近代に入ると、北部ユーラシア大陸を東進してきたロシア帝国がアラスカに到達した。西洋人として初めてアラスカを発見したのはピョートル大帝の命により北極を探検していたヴィトゥス・ベーリングである。
19世紀後半ロシアは植民を行い、露米会社がアザラシなど海洋動物の毛皮を採集していたが、運送費がかさむこと、乱獲による海洋動物の激減により毛皮事業がなりたたなくなってきたこと、クリミア戦争後の財政難などの理由により、1867年アメリカ合衆国に720万ドル(1km²あたり5ドル)で売却された(アラスカ購入)。この交渉をまとめたのは国務長官であったウィリアム・H・スワードである。このことは当時のアメリカ国民から「スワードの愚行」「巨大な冷蔵庫を買った男」などと非難されたが、その後豊富な資源が見つかり、現在では高く評価されている。
なお、アラスカはかつてロシア領だったため、東方正教会の信者の割合が他州に比べて高く、幾つかの現地語はロシア人宣教師によってはじめて文字化されている。
アメリカ時代
1896年カナダのユーコン準州で金が発見される。
その後、アラスカのノームやジュノーやフェアバンクスでも金鉱が発見され、アラスカのゴールドラッシュが始まり、何万人もの砂金探しがアラスカとカナダのユーコン準州に集まった。フェアバンクス等はこの時代に町としての形をなした。
1959年米国49番目の州に昇格。
1950年代の米ソ核軍拡競争の時代には、アラスカを水爆実験場にしようという計画が持ち上がったが、自然保護運動の高まりの中、中止に至る。
1968年アラスカの北部のプルドー湾で、ARCOが油田を発見した。推定埋蔵量は96億バレルだった。1974年―1977年に、プルドー湾からヴァルディーズ市(1280km)までのトランスアラスカパイプラインが建設された。
人口動勢
2005年現在、アラスカ州は前年より5,906人、または0.9%増加し、2000年より36,730人、または5.9%増加した、人口
663,661人と概算された。これは36,590人(出生53,132、死亡16,542)と前回の国勢調査からの自然増並びに州内への移住者
1,181人の増加が含まれている。アメリカ合衆国外からの移住は5,800人増加する事となり、合衆国内部の移住者は4,619人減少する事になる。
アラスカ州の人口重心(Center of
population)はアンカレッジの東おおよそ64.37km(39.96マイル)となっている。
交通
かつては西側諸国に旧ソビエト連邦領空が解放されておらず、また当時の航空機の性能もあり、日本と欧米諸国を往復する最短経路の航空便はアンカレッジ国際空港を経由するのが普通であった(いわゆる「北回り航路」)。しかし、現在では航空機の性能の向上等もあり、日本とアメリカ大陸を往復する便はアラスカ上空付近を飛行するがアンカレッジ空港を経由することはなくなった。日本とアラスカ州を結ぶ定期直行便は、貨物便を除いてない。日本からアラスカに行くには、通常アメリカ西海岸(シアトル・タコマ国際空港、ロサンゼルス国際空港、サンフランシスコ国際空港など)に飛び、そこからの定期便を利用する(バンクーバー国際空港の方が距離的には近いが、アラスカまでは国際線となるため先述の各空港からより便数が少なめ)か、夏季限定の仁川国際空港(韓国)からの定期便、もしくは日本からのチャーター便を利用するかのいずれかになる。
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